今夜は、トルコと日本の95年もの時を超えた恩返しの朗読劇へ。

 

日本では学校で教えてくれない『心で生きて人に尽くせる日本人らしさ』

それを、遠い地のトルコでは当たり前に語り継がれています。

 

その恩返しは、1985年3月 イラン・イラク戦争。

200名を超える日本人が助けれられました。

 

嬉しくも恥ずかしくなる国の教育の違い。

家庭内教育として、親が子に伝えていくことの一つなのかも知れません。

 

戦地に取り残された250名を超える日本人

イラン・イラク戦争中の1985年3月17日

イラクのアダム・フセイン大統領が航空機の無差別攻撃を宣言します。

「3月19日20時30分以降、イラン領空を飛行する航空機は、民間機であれ全て撃墜する」

 

世界各国は素早い対応で自国民を次々と避難させます。

そんな中、日本だけは救出機を1機も飛ばさない方針が決まります。

 

背景

当時、自衛隊を救出が目的とはいえ派遣することは専守防衛を逸脱するものとして断念。

※30年かかり、平成27年に見直しが制定され、現在は救出派遣が可能です。

 

航空会社の機長が救出機への搭乗に名乗り出るも、労働組合長からの猛反発により却下。

※この機長と労働組合長の関係は、映画『沈まぬ太陽』で描かれています。

 

事実上、国としては救出を諦めることに。

 

そんな中、イランに駐在していた野村日本大使がトルコ大使へ飛行機の座席チケットを譲って頂けないものか要請。

それに対し、トルコは救出機を1機飛ばす形で応えてくれることに。

 

トルコは自国民救出も含め、定期便での1機、救出機として1機を向かわせる。

しかし、1機当たりの座席は250席。計500席

 

日本人は250名ほど。

これに対し、イランにいるトルコ人は600人を超える。

救出対象者は850名以上

 

どうあっても、日本人全員の救出は不可能

そんな中、トルコ人の奇跡の対応劇が現地で起こります

 

「陸続きの自分たちは陸路で行けば良い!」

「自分の国に自分の足で向かえば良い」

空港に集まっていた誰かの何気ない言葉に賛同が集まったのです。

 

タイムリミットの1時間15分前。

ついには、日本人全員が避難に成功!

 

このトルコ人の当たり前かのような意思の統一。

これには、この奇跡の95年も前の出来事が関わっているのです。

 

エルトゥールル号の船員への献身

事の始まりは1887年に小松宮彰仁親王殿下・同妃殿下一行がイスタンブールを訪問。

その答礼としてトルコ初の親善使節がエルトゥールル号での日本への派遣。

 

11ヶ月もの渡航を経て、親書を奉呈し、無事に帰国の途に。

 

しかし、1890年9月15日

台風が日本列島に接近し荒波となる中、諸般の事情で予定を大幅に超過していたこともあり横浜を出向。

 

台風の影響下に入り、和歌山県の紀伊大島、櫛野﨑沖(現:串本沖)で座礁

機関部が浸水したことで水蒸気爆発を起こし、沈没。

650名以上の乗組員が海に投げ出されてしまう。

21時30分頃のことである。

 

岩場に流れ着くも、40mの絶壁が目の前に。

必死の思いで登り、灯台に辿り着いた5名の船員。

 

言葉は通じずとも、彼らの知らせにより島民総出で救助・看護活動に当たる。

命綱も無しに海に飛び込み、溺れた船員を助ける者。

自分の身の丈よりも50センチ近く大きな船員を崖の上まで担ぐ者。

 

650名を超える船員のうち救助されたのは69名。

その助けられた命も、決して裕福ではなかった村では薪が直ぐに底を尽き暖が取れない。

多くの命が消えかかってしまう。

 

『人肌で温める』ことを決断。

島民は男女問わず衣服を脱ぎ、一人にひとり、肌を寄せ、手でさすり摩擦熱も起こし温める。

 

現在よりも、よっぽど貞操観念の厳しい時代。

それでも女性も加わり腰巻き一枚で懸命に命を繋ぐ。

 

これが、どれほどの決意が伴う行動か・・・

 

懸命の看護は実を結び血色を取り戻す。

 

次の問題は食料と衣服。

先も申し上げた通り、決して暮らしに余裕のある島ではない。

さらに、台風により漁に出られず、食料の備蓄さえ乏しい。

 

島民は自分たちの食べ物にさえ困っていた状態にもかかわらず

各家庭の非常食もかき集め

惜しげなく提供し、衣服さえも差し出す。

 

救えなかった何百という乗組員の遺体の引き上げにも全力を尽くす。

村長の判断と実行力の甲斐もあり、救われた69名の乗組員は政府が用意した船で無事、帰国を果たす。

 

この恩を、トルコ人は忘れない。

30歳以下の日本人の多くは知らないであろう話し。

それを、世代を超え語り継がれ、トルコ人は当たり前のように知っている。

 

その恩返しを

戦地という命の掛かった状況で

誰の命令でも無く

自分の意思で

救出機の席を明け渡し

「無事に国に帰ってくれ!」

誰もが声を掛けたという。

 

歴史は知るのではなく・・・

私は、昔から社会科の勉強が一番つまらなくて嫌いでした。

ただ『年表や地名の位置を知るだけ』の暗記科目としか思えなかったから。

 

大人になってから歴史を見聞きする度に思うことがあります。

社会科で教えることは歴史ではなく、歴史を通して浮かび上がる国民性。

それこそを伝えて初めて『学び』として残るのではないか?と。

 

本業で例えるならば

不動産のルール、取り引きの流れなど

これらを、ただ言われても頭に残らないんですよね。

 

なぜ、そうなった?

どんなことが積もり積もったことなのか?

 

その背景に、当たり前の人間性が伴えば

納得のうえの学びになるから覚えやすいのと同じです。

 

学びとして残るために必要なものを思う時

語り継いでいくことは、心の在り方と心の動きを大事にすることなんじゃないか?と思います。

 

実話の持つ説得力に勝るものはないと思います。

 

映画や小説、マンガも確かに良いです。私も大好きです。

 

けれど、大好きゆえにリアリズムな人からは

「作り話しだよね」

と冷ややかな言葉を言われることもありました。

 

「人は、そこまで綺麗な生き物ではない。」

そう言われる気分になります。

そんなのは分かっているんですよ。

ただ、何を信じて人を、相手を見るのかが大事だと思います。

 

疑心暗鬼の対峙で、相手が心を開くわけが無いんです。

そういう生き方はパートナーに迷惑を掛けます。

日々の心の状態に『マイナス』の影響を出してしまいます。

誰得にもならない心の在り方です。

 

だからこそ、言われたからしたのではない

思うから行なった実話を伝えることに価値があると思うんです。

 

他国の国民性を蔑み語るより

国ごとの風習はあれど

人としての素晴らしさを国民性として

恩や喜びをもって伝えていきたいですね。

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